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クリーンコンピューターMZ-700の思い出

MZ-700
MZ-721

実家の倉庫に長らく眠っていたSHARPのパソコンMZ-700 (1982年発売)が処分されたということで、思い出を綴ってみます。

当時、おそらく日本で初めてとなる家庭用パソコンの本格的流行がありました。すがやみつる氏の漫画およびアニメ『ゲームセンターあらし』が流行って間もない頃で、同氏が子供向けに漫画タッチでパソコン指南書を出した時代でした——擦り切れるくらい何度も読みました。同書に採り上げられていたのが、1981年11月発売のNEC PC-6001でした。 そんな中、私たち兄弟のプッシュと時代感覚に優れた父親の英断で、我が家に来たのが発売直後のSHARP (シャープ) MZ-700でした。PC-6001と同じ価格帯です。MZ-700を敢えて好んで選んだわけではなく、パソコン買うために父と電器屋に行ったところ、店員からMZ-700なる機種を勧められて買って持ち帰った、という経緯でした——店員としては発売直後のパソコンを売り込む動機もあったのでしょう。

今調べてみると、PC-6001以前の初期「パソコン」の価格帯が、極端に機能を絞った超廉価版とその1年前発売の先駆者コモドールジャパンのVIC-1001を除けば、ざっと20万円ないしそれ以上だったのに対し、10万円(さらに言えば9万円)を切る国産モデルが続々と市場に出てきた時代だったようです。一般家庭でも頑張れば手が届く価格帯になりましょう。他に、NECの上位モデルPC-8001、FM-7 (富士通/高め)、JR-200 (松下/安め)、ぴゅう太(トミー/安価)、パソピア(東芝/高め)とかを当時よく耳にしました。

MZ-700を使う中で当時、世間的には、MZ-700よりもNECのマシンの方がかなりメジャーだったのはよく感じていました。雑誌に採り上げられるのもPC-6001シリーズをはじめとするNECパソコン、家にパソコンがある友人・知人もNECパソコンが多かったものでした。しかも年を追うごとに、NECの独り勝ち傾向はむしろ加速していくことになりました。90年代には(当初はNECの最上位モデルだった) PC-9801から採られた言葉「98(キューハチ)」がオフィス及び家庭用(デスクトップ)パソコンの代名詞になったことに象徴されましょう。

そういう意味では、MZ-700ユーザーは世間的には恵まれた存在というわけではなかったものの、MZ-700は学べば学ぶほど、味があるマシンではありました。SHARPのMZパソコンの設計思想がとても気に入りました。しかもそれは私の個人的愛着というだけでなく、MZ-700は当時のパソコンの中では、ある意味では21世紀の現在も最も語られる存在、いわば伝説となっています! 実際、驚くべきことに、2025年にもMZ-700用のゲームがカセットテープでも市販されました……(PC WatchBeep販売元)。


1 クリーンコンピューター

MZ-700をはじめ当時のSHARPのパソコン(MZシリーズ)は、「クリーンコンピューター」という先進的設計思想が採用されていました。

「クリーンコンピューター」とは、パソコンにスイッチを入れた段階で、内部メモリ内にはパソコンが動くための本当に最小限の構成(ソフトウェア)しか存在していなくて、後はユーザーに任される、という意味です。逆に言えば、パソコンで何かするためには、起動後、ほぼ必ず何かのソフトをテープから読み込み(「ロードする」)しなければならなかったものです。「テープからロードする」のも命令ですから、起動時にはその命令が実行できる程度の最小限構成だけが入っていたというわけです。

この思想自体は、今のパソコンでは常識です。パソコンを起動(及び必要ならば認証)した後、ブラウザやワープロソフトや表計算ソフトなど好みのソフトウェアを立ち上げるのが普通です。今の時代は、ソフトが(内蔵)ハードディスクないしはSSDに入っているので、一瞬ないし数秒でソフトが立ち上がります。しかし当時は、ソフトを保存しておくのはテープしかなかったので、カセットテープから読み込むしかなく、3〜10分かかりました——ビジネス向けの高価なパソコンにはフロッピーディスクやさらには外付ハードディスクに対応した機種もあったようですが、家庭用パソコンの主流はテープレコーダーであり、読み込みは極めて遅かったものでした。だからでしょう、当時は、必ず何分も待たなければならない「クリーンコンピューター」はむしろ先進的設計思想だったものです。

1.1 メモリーの話

MZ-700の場合、具体的には、その最小限のソフトウェアが入っている上書き不能の固定部分(ROMと呼ぶ; Read-Only Memory)が4kBでした。それに加えて画面描写やサウンドや(内外の)機器制御のための仮想メモリ(VRAM)に12kB使っていました。 MZ-700の総メモリは64kBだったので、後の48kB(=64-4-12)が、ユーザー(サードパーティ製のソフトウェア)が何も考えずに自由に使えるメモリ(RAM: Random-Access Memory)でした。加えて、MZ-700では「バンク切り替え」という技術で、ROMとVRAMを一時退避することでその部分もユーザーがRAMとして使うことを可能にすることで、64kBフルメモリを実装していました。ユーザーが64kBもRAMが使えるのは、当時の家庭用パソコンとしては画期的でした。

ここで、一般論としてRAMは、電源を切るとそのすべての内容がクリア(消去)されます。今も昔も同じです。ソフトウェアの実行時には、そのソフトウェアをRAM上にロードして(=書き込んで)、それをパソコンが走らせることになります。何か情報を残しておきたい時には、別の記憶媒体に能動的に保存するしかありません。MZ-700の場合は、保存先がカセットテープ一択であり、保存のためには、ユーザーが空のカセットテープをセットしたうえで、原則としてユーザーが自ら「保存(セーブ)」コマンドを実行する必要がありました。 参考までに、2026年現在、iPhoneでもRAMは8GB、つまりMZ-700の10万倍ありますし、それに加えて内部恒久記憶容量が256GB (MZ-700はゼロ)とかあったりします……。でも当時は64kB RAMは画期的だったのです!

MZ-700を含めて当時の家庭用パソコンは原則として8ビットマシンでした(初代ファミコンも)。MZ-700のメモリ全64kBは、原理的に8ビットマシンに実装できるほぼ最大レベルでした(後述のように例外あり)。理由を述べましょう。まず、1ビットは2進数で表した一桁、つまり0または1を表すサイズという定義です。だから、8ビットとは2の8乗(=28)、つまり256までの数を表すサイズ(正確には0〜255)であり、これは「1バイト」とも呼ばれます。8ビットマシンとは、パソコンの心臓部(CPU)が一度に処理する単位系が8ビット(=1バイト)であることを指します。 一方、(MZ-700の総メモリの) 64kBとは「64キロバイト」です。「キロ」は1000だから、「1キロバイト」はざっと1000バイト、コンピューター科学では正確には1024 (=210)バイトを指します。だから、64kBは、「64×1024 = 65536 (=2^16)バイト」です。マシン上で各バイトがどこの位置にあるかを表すのが「アドレス」で、64kBのアドレスを表現するためには、65536 (=216) を表現できなくてはならず、そのためには 16ビット(=2バイト)必要な計算です。そして、当時の8ビットマシンの心臓部(CPU)は、メモリのアドレスを表すのは2バイトと決め打ちしてデザインされていました。

こういう事情で、8ビットマシンが64kBを超えるメモリを積むのは原理的にハードルが高かったものでした! MZ-700は、64kBのメモリーを積んでかつそれをすべてユーザーに開放していたわけで、当時のマシンの限界に挑んでいた、と言っていいと思います。実際、同時期に発売された家庭用パソコンの大半はそもそもメモリーを 64kBも積んでいませんでした。

なお、正確には、8ビットマシンでも64kBを超えるメモリを積むための抜け道はありました。例えば、64kBのメモリを2つ(合計128kB)搭載して、最初の64kBメモリをA面、次をB面と定義して必要に応じて随時(電気的に!)A面とB面とを切り替える技術です——この切り替えを「バンク切り替え」と呼びます。その分、マシン設計は複雑になり、またソフトウェア設計者も、切り替えるための機械語プログラミングが少し面倒になりましょう。少なくとも初期の8ビット機では実装されていないのが普通だったようです。

1.2 「非クリーンコンピューター」と機種標準BASIC

前述のように、MZ-700発売当時、SHARP社以外にも、家庭用パソコンの一番人気だったNECのPC-6001はじめ、数多くのパソコン機種がありました。 しかしいずれも、SHARPのパソコン(MZシリーズ)とは異なって、「クリーンコンピューター」ではなかったようです。具体的には、それぞれの機種標準BASIC(言語及び開発環境)が最初からROMの一定部分を占拠していました。

(機種標準)BASICが最初から装備されているから、「機種標準BASICを使う」という使い方をする場合、電源を入れてすぐにその環境が整っていて便利です。待たなくていいからです。 対照的に、SHARPのパソコンMZ-700の場合、どんなBASICを使う場合であっても、電源投入後、そのBASIC (というソフトウェア)をテープから4分くらいかけてロードする必要があったのでした。

ここで、「BASIC」はプログラミング言語の一種ですが、当時のBASICは開発環境も兼ねていた、つまりOS (オペレーティング・システム)の機能を代替していたことに要注意です。そして、当時のBASIC上には(ディスク上の)「ファイル」という概念はありませんでした。BASICそれ自体を除けば、その時点でメモリ上にある(もしくはない)一つのソフトがすべてです。大雑把に言えば、開発環境としてのBASICは、そのソフトをカセットテープからロードする、編集する、実行する、テープに保存する、が機能のほぼすべてだったと記憶しています。そして、BASICの言語としての機能も「コマンドライン」から直接実行できます。たとえば「画面をクリアする」BASICの命令をその場で実行させると画面がクリアされたりします。UNIX互換マシンのターミナルにおいて、シェルを使っているような感じです。ただし、ファイルという概念がないことが大きな違いになります。もちろん、並列処理などの高級概念もなく、あくまで「ベーシック」です。

(余談ながら、何年も後になって、開発環境としてのBASICに替わり、かつ機種横断的な「S-OS “SWORD”」というOSが登場したものの、メーカーは基本的にノータッチのサードパーティ製だったはずです。)

1.3 「非クリーンコンピューター」の問題点

PC-6001はじめ当時標準だった、「機種標準BASICをROMに標準搭載」には問題がいくつかあります。もちろん、当時は、これら欠点を上回る利点(起動時の待ち時間が短いことがある?)があったと考えられていたからこそ業界標準だったのでしょうが!

まず、BASICがROM (=読み取り専用!)に入っているということは、そのBASICに万一、深刻な問題(バグ)が発覚したら、パソコン本体ごと取り替える以外、術がありません! そんなリコールの話は現実には聞いたことありませんが、その潜在リスクは常にありました。

次に、専用BASICしか使えず、他のBASICないしプログラミング言語は事実上、使えません。MZ-700の場合、標準で(基本的な)「S-BASIC」と(高級な)「Hu-BASIC」と2種のBASICがカセットテープで付属してきて、目的やプログラマーの技量によって使い分けられました。さらに嬉しいことに、SHARPの前モデル機種(MZ-80K/K2/CやMZ-1200)のBASICである「SP-5030」もそのテープさえ入手すればロードできました。つまり、旧型MZ-80KのためにそのBASIC上で開発された(ゲームや実用)ソフトも、「SP-5030」をロードすることで問題なく走らせることができました! PC-6001ではこれはできませんでした——専用BASICに加えて別のプログラミング言語を「追加で」入れることは原理的には可能だったと思いますが、(初代)PC-6001の空きRAMに入るほど小型のプログラミング言語はおそらくほぼ存在しなくて、仮にあったとしても、肝心の(そのプログラミング言語上で動く)ソフトのために残されたRAMがほぼゼロに近くて使い物にならなかったはず。端的には、空きRAMが少なすぎたのです。PC-6001では16kB拡張RAMを挿すことはできたようですが、それでも原理的に同じ問題が付きまといます——別プログラミング言語とその言語で書いたソフトの両方を入れるだけのRAM容量が限られる。だから、たとえば後継機において、機種標準BASICを刷新することも、ビジネス的に困難だったことでしょう。なぜならば、それをすると、後継機を買った顧客がソフトも全部買い換えないといけなくなりかねませんから! ハードウェアもプログラミング言語も時代によってどんどん進化していく中、「専用BASICにロックインされている」モデルはそれに対応しづらいわけです。対照的に、MZ-700は系列旧型機のSP-5030を捨てて潔くモダンなBASICを導入していました。「クリーンコンピューター」だからこそ思い切った変革できたのだと推察します。古い機種のSP-5030で動くソフトウェアを使っていた人は、SP-5030 (のカセットテープ)だけ入手すれば問題なく動いたはずですから。

そして、最大の問題は、本格的ソフトウェアの場合、そもそもBASICは使わないのに、「機種標準BASICをROMに標準搭載」マシンでは大量のメモリがBASICで占有されてしまっていて(ROMだから)変更不可なことです! BASICはプログラミング言語として、名前の通りあくまで初級者用にデザインされていて、機能、特に実行速度に劣ります。当時の貧弱なマシンパワーでは実行速度は往々にして命だったから、これはしばしば致命的な問題でした。加えて、BASICのソフトは、全コードが誰にでも簡単に丸見えになる、というビジネス上の問題もありました。だからでしょう、8ビットマシンの大半の市販ソフトではBASICは使わず、機械語(マシン語)で書かれていた印象です——少なくともSHARPのパソコン用のソフトは。特にシビアなリアルタイム性能が要求されるアクションゲームではほぼ絶対でした。実は当時、BASICで書いたコードであっても、速度が必要になる部分では機械語を組み合わせることは普通に行われていました。POKE/PEEKなど、絶対アドレス指定してメモリに直接アクセスするためのBASICのコマンドさえあったのです。それをするとソフトの可搬性が失われる、つまり別機種ではソフトが走らなくなる恐れが高い、という重大な問題はありましたが……。

比較のため、「クリーンコンピューター」のMZ-700では搭載全64kBのRAMメモリがユーザーに開放されていたので、機械語で書かれたソフトウェアはその64kBをフルに使えました。 対照的に、初代PC-6001の場合、ROM+RAMの全メモリがそもそも32kBで、そのうち16kBが機種標準BASIC用のROMとして占有されていました(Wikipedia)。さらに、画面描写のためにもRAMの一部(かなりの部分)を使う必要があったため、ユーザーが本当に自由に使えるRAMは最悪 7kB程度になってしまったそうです——画面描写精度を犠牲にすればある程度増やせたとは言え。7kBであれば、MZ-700のわずか1/10……。

(純正初代)PC-6001用のソフト開発は地獄ないしは無理ゲーだったことは想像に難くありません。 NEC開発チームもその問題点は認識していたのでしょう、PC-6001ではオプションとして別売の16kBメモリ拡張することはできたということです。調べたところ、当時のPC-6001用の市販人気ソフトの多くは、その「拡張RAM必須」とされていたようです。もっとも、メモリ拡張したところで、BASICと画面描写に必要な分は削減できないので、高精度画面描写するならば、完全に自由に使えるのは16kB+7kBの制限になって、MZ-700には依然遠く及ばない計算になります。

2 MZ-700の画面描写

MZ-700の画面は、旧式で、それはちゃちでした。先行機種のNHKのPC-6001(の高精度描画モード)の方がはるかに自由度が高くてきれいだったのは疑いありません。 そういう意味では、店頭でのデモにおいては、MZ-700は見劣りしたことと思います。

ただし(!!)、MZ-700に限らず当時の貧弱なマシンパワー、そしてメモリで、きれいな絵を描写するのは本質的に大変でした! いわゆる「コストが高い」ことでした。端的にはマシンの動作が遅かった。加えて、きれいな絵を(一枚でなくて)何枚も描写するには、それをどこかに保存していなければいけないわけで、本来、巨大なメモリかまたは大容量記憶容量が必要でした。ところが、8ビットマシン用のハードディスクもフロッピーディスクですらほぼない当時、記憶媒体は(極端に遅いカセットテープを除けば)存在しなかったから、大抵のソフトウェアは搭載メモリでなんとかするしかありませんでした——画像を表示するたびにユーザーにテープを交換させて読み込みに1分待たせる、というような使い方が許されない限り。しかし、PC-6001のメモリは上述のように極小だった……ということは、初代純正PC-6001の高機能画面描写をフル活用したソフトウェアはよく言って限られたことと思います。広告で数枚の画面写真を表示するには見栄え良かったにしても、ソフトウェア中でグラフィック機能を最大活用するのは大変だったはず。16kB拡張RAMを使えばずっとマシだったにせよ、所詮16kBに過ぎないので、比較の問題です。たとえば、PC-6001のグラフィックモードは128×192ドット×4色(Wikipedia)だったから、仮に全ドットを独立に扱えば、6kB必要な計算です。フル解像度の全画面画像を3枚保存していたらそれだけでほぼメモリを使い切ってしまう勘定! 無論、実際のソフトは、全画面フル解像度の画像では全くなく、プログラム的に生成した部分画像を組合せて全画面表示することで、保存画像の必要容量を桁で落とす工夫をしていたのは疑いありません。実際、ネット上で見つかるPC-6001への移植版「ゼビウス」のプレイ動画を見ると美しい画面を実現しています。とはいえ、高画質画像とメモリ・記憶容量とのバランスについての本質的な問題は常につきまといます——プログラマーは涙ぐましい努力でなんとかしようとしますが……。

PC-6001に比べてMZ-700の画面は、ちゃちでした。しかし人間には想像力がありました。最小限の線からなる芸術は昔から存在しています。あるいは、後年、メールと掲示板の時代の1990年代後半、ASCIIキャラクターしか使えないという制約の中、信じられないような絵を描く絵師が大量に出現したことも象徴的でしょう。 そして、MZ-700の画面表示はちゃちとは言っても、SHARPのそれまでのモノクロオンリーの機種と異なって8色使えたので、これは非常に大きかった!

今から振り返れば、MZ-700のちゃちな画面描写は、むしろソフトウェア開発者のチャレンジ精神を掻き立てる側面もあったようです。厳しい制約の中でいかにきれいな、それらしい画面を出すか?! キャラクター画像とは思えない、立派な画像を誇るMZ-700用ソフトがたくさん出ました。公平に言って絵の見栄えだけならば、高精度描画可能マシンと比較にならないにせよ、ユーザー的にはMZ-700の画でも実用上「十分使えた」「無問題だった」ケースが多かったのです。

そして、ハードウェア的にちゃちな画面しか出せないということは、裏返せば、複数の絵のための記憶容量メモリ消費は最小限で済み、かつ、常に高速描画可能ということでもあります。当時の貧弱なマシンパワーでは、高速描画可能なことは、特にアクションゲームには非常に大きな利点だったこと疑いありません。

一例として、当時のMZ-700のキャラクターコードの中には、顔の絵文字のような️キャラクターが2種類用意されていたものでした。いずれも1バイトです!! 文字色及び背景色をつけても、もう1バイトで済む、つまり合計2バイトです。ちなみに現在の絵文字は、普通の文字サイズでざっと 1kBくらいなので、当時に比べて500倍多く使っている計算です(一度定義したら呼び出しはずっと軽くて済むにせよ)。MZ-700で使える色は8色だけですが、細かい格子状のキャラクターがあったため、その文字色と背景色とを工夫することで擬似的に中間色を描出したりもされていたものでした。MZ-700では非印字文字も含めて256個のキャラクターしか使えなかった(正確には、アルファベット大文字小文字とひらがな・カタカナの表示切り替えを「色」と同等に扱う仕組みだったので、それを含めると最大でその2倍の512個)ものの、その呼び出しは究極的に軽くて超高速、かつ画像データも最小限で済んだわけです。

MZ-700では、(プログラマーを含めて)ユーザーが当時としては潤沢な 64kBメモリをフルに使え、そして逆説的ながら画面にそれほど計算機リソースを投入しなくて良かったからこそ、人気を博した長大なゲーム、たとえば「(移植版)ゼビウス」や「タイムマシン」もうまく実現できた、という側面はありましょう。

3 「MZ-700に不可能はない」

実は、MZ-700が世に出て数年は、数ある家庭用ホビーパソコンの中の一つに過ぎなかったと思います。当たり前ですがパソコンの世界はどんどん進化していたわけで、SHARPも MZ-700の後継機 MZ-1500を2年経たずにに発売するのと並行して、当初はビジネスモデルとして出していた上位機種の X-1シリーズも家庭用になってきました(私の印象ですが)。NECで、当初は完全ビジネス顧客用で高価だった PC-9801シリーズが後に家庭用パソコンになったのと同じ流れと言っていいでしょうか。 また、時期を同じくして、「メーカー横断共通企画」を謳ったMSXパソコンもたくさん出てきました。

一方、任天堂ファミコンことファミリーコンピューターが出て世間を席巻したために、コンピューターゲーム用としての家庭用パソコンの地位は(私見ながら)ほぼ地に堕ちてしまいました。最上位モデルのパソコンでもゲーム専用機器には全然敵わなかった印象です。本体の値段は何倍もするのに! 当時のパソコン上位モデルとファミコンとでハードウェア性能の違いはよく知りませんが、少なくともゲームソフトウェア開発者のマンパワーと熱量には天と地の開きがありました。もちろん儲けは何桁も違ったことでしょう!

そんなMZ-700を取り巻く状況を一変させたのが、在野の鬼才古籏一浩氏でした。彼が趣味で作ってSHARP MZユーザーのための月刊誌「Oh! MZ」に投稿した移植ゲーム「ゼビウス」が衝撃だったのです……。「ゼビウス」は元々アーケードゲーム(ゲームセンターのゲーム)の名作シューティングゲームで、ファミコンにも移植されて大人気を博したゲームです。美しいグラフィックスと世界観とすばらしいゲームバランスで、シューティングゲーム界の革命児であり、その衝撃を考えると、20世紀最高のコンピューターゲームの一つと言っていいかも知れません。その世界観が、キャラクターグラッフィックと貧弱なサウンドしかないはずのMZ-700で見事に再現されて、日本のパソコン界隈に衝撃を与えたのでした。私も兄弟で頑張って、雑誌掲載されたその「ゼビウス」の膨大な機械語コードを目視でMZ-700に打ち込んで、随分と遊ばせてもらいました。 革命的なすごい作品でした!

古籏さんはその後も同誌で、名作シューティングゲームのMZ-700移植を発表します。その結果、標語「MZ-700に不可能はない」が確立され、MZ-700の伝説が不動のものになったのでした。1980年代前半に売り出されたパソコンはそれはたくさんの機種がありましたが、その中でMZ-700は特別な位置付けになっているものです!

3.1 クリーンコンピューター思想と現実

今から振り返ってみて、SHARP社の「クリーンコンピューター」思想は時代を先んじていて、優れていたと改めて思います。

メーカーの「お仕着せ」の使い方だけでなく、ユーザーが自由に使うための余地をたくさん与えていたからです。ただし、いかにたくさん余地があっても、その余地を使うユーザーがいなければ、宝の持ち腐れに終わります。「潜在的に優れている」だけに終わってします。

もし、圧倒的多数のユーザーがメーカーの「お仕着せ」の使い方しかしないならば、その「お仕着せ」仕様に最も簡単にアクセスできることが重要なポイントではありましょう。毎回、起動時に4分待たなくてはいけない「クリーンコンピューター」と、秒速で起動できる機種とであれば、後者が嬉しいことになります。

MZ-700の場合、古籏一浩氏という超絶ユーザーがいたために、そのポテンシャルが世に知れ渡り、またユーザーが(彼のゲームをプレイするという形で)そのポテンシャルをフルに利用できた、という幸運なめぐり合わせがありました。そのめぐり合わせがあった時期が、MZ-700の後継機種が出ているどころか、その後継機種も代替わりしている発売の4年後以降 だったのは、皮肉ではありますか……。古籏一浩氏がセンセーションを起こした段階で、MZ-700はすでに店頭から消えて久しかったはずです。つまり、SHARP社にとっては直接的な利益には繋がらなかったと恐れます。当時でももはや簡単には手に入らないからこそ、MZ-700が伝説化してSHARPの名が残ったという副次的な効果はあったにせよ、です。

MZ-700以前のSHARP MZマシンも一貫して「クリーンコンピューター」思想ではありました。ただし、一言で言えば、パソコンのスペックも時代も追いついていなくて、ブレイクには至らなかったのだと推察します。CPUが低速、画面がモノクロ表示、メモリも(大いに)限られ、高価、そして何よりも一番は、家庭用パソコン市場自体がまだ育っていなかった時代でしたから。

4 おわりに

個人的には、MZ-700でコンピューターの基礎を大いに勉強させてもらいました。BASICでは物足りなくなって、難解なZ80機械語のレフェレンスを購入して勉強したからこそ、コンピューターがソフトウェア的に根っこの部分でどう駆動されているかよく理解できました。実は、MZ-700の「クリーンコンピューター」思想もその助けになったと思います。MZ-700では、BASICも自分でロードしなければいけないからこそ、BASICはそこに当たり前に存在するものではなくて、ただの一つのソフトウェアと肌で理解できました。また、MZ-700では起動直後、何もできない、と書きましたが、実は、機械語プログラミングの作成編集、ロード、セーブ(保存)はできました。つまり、機械語を扱う限りは、待ち時間のネックは無かった!

その後、長じて、他の計算機言語を学んだ時も、C言語などでポインターを扱う場合も自然に理解でき、他の高級言語のプログラミングにおいても仕組みとして裏で何が行われているかを違和感なく感じ取ることができました。ソフトウェア開発は直接・間接に仕事にもなりました。

今のAI時代にそれが必要か、と問われると、それはよくわかりません。しかし、物事を芯から理解したい、という知の欲求に応えられた、という意味では、自分の経験はとてもありがたかったことでした。そのために最初のマシンとしてMZ-700を存分に使えたことは幸運であり、また当時、その環境をくれた父には感謝しかありません。

MZ-700 and joystick
MZ-721と(オプションの)ジョイスティック